ワーナーホームの歩み

歩み

序章

障害者支援活動は、福祉行政の影響を正面から受ける。団体としての活動と国の施策は、切り離して考えることはできない。ここではワーナーホームが制度的には全く公的支援のない中で誕生し、施策の動向とどのように関係しながら今日に至ったのかを振り返ることとする。
ワーナーホームの歩みをたどると、柏市で東葛工芸センターを立ち上げた時期から、大網白里町(2013年1月市制施行)へ移りホレブ寮を開設し、運営の基盤をつくり上げた時期までが「精神衛生法」の時代であった。精神衛生法が改正されるとワークショップしらさと(通所授産施設)やノバハイツ白里(生活訓練施設)、パンプキンハウス(地域生活支援センター)などの精神障害者社会復帰施設を開設した「精神保健法」(1987年)の時代となる。そして「障害者自立支援法」の時代となって、それまでの社会復帰施設を新制度に移行し、新制度の中で事業展開をしながら「障害者総合支援法」の今日に至っている。
ワーナーホームは、できる限りその時々のニーズに応えようとしてきた。そこには法人自身と地域の課題が山積していて、それを解決することが精神障害者支援の道を切り拓くことでもあった。

第1章 創業期と精神衛生法

作業所からの出発(1981年)

1981(昭和56)年11月4日、千葉県柏市に精神障害者のための社会復帰訓練センターとして東葛工芸センターが開所した。実態は作業所だったが、当時の法体系のなかでは、小さな組織と資金で法人格を取得するために株式会社とした。おそらく日本で最初の精神障害者のための株式会社であろう。
多くの精神障害者が入退院をくりかえしていること、病状は回復しても受け入れ先がなく、いたずらに入院生活を送っている人が多いこと、これらは病院と社会をつなぐパイプがないことが原因だ、という認識が基になっていた。精神障害者に規則正しい生活習憤と職場適応能力をつけさせ社会復帰を促すことを目的とする、株式会杜東葛工芸センターはこうして誕生したのである。
創業直後の11月から5月までの月平均売上げは、45万9,000円。あれから30年以上経ち、制度も整った現在の就労継続支援B型事業所における全国の支払い平均工賃15,000円は既に達成していたのである。毎日誰かが来ていたボランティアの活躍もあった。
1982(昭和57)年、厚生省は、「通院患者リハビリテーション事業(いわゆる職親制度)」を開始し、東葛工芸センターは千葉県の第1号の協力事業所として登録し、利用者7名が県内初の適用を受けた。

宇都宮精神病院事件

1984(昭和59)年3月29日のNHK総合テレビはニュース解説で「宇都宮病院事件」を取り上げていた。医療不在の実態として「看護人の暴行」、「無資格診療」、「生活保護費の流用」、「作業療法と称する使役」などを報じていた。「入院患者が看護職員らに金属パイプで殴られて死亡したことが判明した」という報道が発端だった。
この事件は、その後の精神衛生法改正に大きな影響を与えた。

東葛工芸センターでは、職員、家族、関係者などが毎月勉強会を開いていたが、住いの問題に関心が集中していった。家族には「親なき後」の問題でもある。1985年になって大網白里町(2013年1月市制施行)にまとまった土地が見つかり4月売買契約を結んだ。6月に柏市役所の記者クラブで発表すると全国から電話が殺到した。一方で建築工事に関しては、地元の町役場との交渉は難航を極めた。ごみ処理、排水、住民同意や自治会集会所の寄付等について合意が成立し協定書を交わしたのは11月になっていた。
1985年3月に「ワーナーホームの運営計画」をつくるために有志が集まった時、名称は「ワーナーホーム」と決まった。We Are Not Alone(みんなひとりぼっちじゃない)からの造語である。

ホレブ寮開所(1986年)

敷地面積は約12,850m2、鉄筋コンクリート2階建て1,345m2、総事業費は約4億3,000万円であるが、制度上は社会福祉事業ではなく、これらの事業費は全て自己負担である。
周辺住民からは、「気持ちが悪い、何をするかわからない」等、おそらく世間一般の認識程度を代弁するかのような抗議が寄せられた。町当局も財政負担を理由に難色を示した。さらに一部の医療機関や関係者からの反発も強いものがあった。入院治療を中心とする日本では、地域で患者の支援をすることは治療にならない、誰が責任を取るのか、というのが反対の理由である。医療関係者でない者が精神障害者の問題に手を出すな、というのが本音だったようだ。

第2章 ホレブ寮から社会復帰施設へ(精神保健法の時代)

精神保健法の施行と社会福祉法人化

ホレブ寮が開所した翌年、1987(昭和62)年、精神衛生法が改正されて「精神保健法」が成立した。「社会福祉事業法」も改正され、精神障害者に対する援助活動が福祉事業として法制度の上で初めて認められることとなった。ワーナーホームは1988年12月に社会福祉法人として認可された。

通所授産施設「ワークショップしらさと」の誕生(1989年)

法施行に合わせて法人認可と施設認可を同時に進め、千葉県ではワークショップしらさとを含めて3ヵ所の社会復帰施設が認可され、全国では17施設であった。これを見ても千葉県の姿勢は、特筆すべきことであることがわかる。
「ワークショップしらさと」は、ワーナーホームにとって社会福祉法人の認可を受けて最初の施設として整備された精神障害者通所授産施設であり、1989(平成元)年4月に開所した。それはまた地域からの通所者受け入れの開始でもあった。ワークショップしらさとは、ワーナーホームとしても、また全国の社会復帰施設としても第1期生である。

公的補助を受けて

制度化によって施設建設と運営費に公的な補助金がつくようになり、ノバハイツ白里(1993年)が開所すると退院の受け皿としての性格が際立つようになり、パンプキンハウス(1997年)の開所によって地域活動の拠点が生まれた。以後、ワーナーホームは施設建設でも施設運営でも公的補助金を中心とした体質となっていく。

グループホームの展開

2000(平成12)年4月、ワーナーホーム最初のグループホーム「ゆうゆうホーム」が開所した。賃借物件であるが、ワーナーホームの注文を入れてはじめからグループホームとして設計してある新築の建物である。ここの大家さんは利用者の誕生日には赤飯を炊いて差し入れてくれる。それがいまだに続いている。
また、「なのはなホーム」(2002年)は、当事者が大家であり泊り込みの世話人でもあり、ユニークなグループホームである。

千葉市の施設整備と反対運動

ワーナーホームは、長く大網白里市を拠点として活動してきたが、隣接の千葉市からの利用者が多いことがわかってきた。そこで千葉市緑区おゆみ野へ地域生活支援センターとグループホームを建設することが計画された。2001(平成13)年、ワーナーホームの要望を受けて千葉市は施設整備費補助金を予算に計上した。翌年6月には国庫補助の内示もあり、あとは工事の業者選定のための入札のみを残していたが、地元への説明会も6月から並行して行っていた。この時期に大阪教育大学附属池田小学校での生徒殺傷事件が起こった。当時「犯人は精神病」との報道がなされ、千葉の建設予定周辺の自治会では、「精神障害者施設は危険」との考え方が一気に広まった。その後に行われる説明会はどこの会場も満員。「施設建設反対」の大合唱で、市役所もこの動きに抵抗することなく計画中止を求めてきた。ここに至っては千葉市での施設建設を断念するしか術がなかった。いつか千葉市にとの想いだけが残った。

第3章 社会復帰施設の終焉 ~障害者自立支援法(障害者総合支援法)の時代

障害者自立支援法

2006(平成18)年、障害者自立支援法が4月に一部施行、10月に本格施行された。それまで身体障害者福祉法などのように個別の福祉法で障害者福祉が実施されていたが、新法はそれらを全て一元化した。
障害者自立支援法によって、社会復帰施設は、5年という期限付きで全て新体制に移行することとなり、1988(昭和63)年に制度化された精神障害者社会復帰施設は23年で役割を終えた。

たんぽぽセンターの開所(2006年)と「わたげワークス」(2011年)

自立支援法が施行される以前から、柏では地域生活支援センターの建設が進んでいた。北柏の手賀沼湖畔に、2006(平成18)年8月、「たんぽぽセンター」が開所した。相談業務のほかに小さなカフェを併設して、散歩途中の人などが立寄る場所となった。2011年6月には「パン工房ペジーブル」が誕生した。職員と利用者が手探りでの挑戦を続けた結果、パン屋として市民から高い評価を受けるまでになった。
2013年7月に増築工事が完成し、2階の「カフェ・ペジーブル」は、手賀沼に続く大堀川と遊歩道を見渡す絶景のロケーションであり、「フランスの田舎風」(つくる時の職員たちのコンセプトであり、実際に行った人は誰もいない…)というラウンジは人気である。
柏での活動は、2013年8月にエクラス(ケアホーム)、すくすく(放課後等児童デイサービス)、みつばち(訪問看護)を開設するに至った。

ホレブ寮大改修と生活介護棟新設(2008年)

2008(平成20)年5月、ホレブ寮の大改修工事が終わった。精神衛生法の下で誕生したホレブ寮では、利用者は高齢化、重度化し、入替わりもまれで硬直した運営となっていた。
居室は個室と二人部屋に、浴室も二つに、トイレは全て洋式化し、多機能トイレもできた。そしてエレベーターを設置し、ホレブ寮はバリアフリー化した。高齢化、重度化に対応し、2階が新ホレブ寮(定員25)、1階がケアホーム第1(定員10)となった。ショートステイ(定員6)も備えている。
新ホレブ寮は創設当時の考え方を踏襲し制度に囚われない居住施設としての役割を継続し、ケアホームはホレブ寮の高齢化・重度化へ対応するという位置づけである。日中の居場所、介護の場所として生活介護棟も新設された。他の施設や病院で断られたケースなども受け入れている。断る理由を探すのではなく、どうしたら受け入れられるかを考え工夫できるかが、入居の可否を判断する時の指針である。このような多様なニーズに対応できているのは、ひとえに職員たちの働きの結果である。

新しい展開

2013年、ワーナーホームに二つのプロジェクトチーム(PT)がつくられた。その結果、2014年1月から茂原市で「ワークショップ茂原」が開所した。ペジーブル茂原店である。また、下総精神医療センター(千葉市緑区)の敷地で「鎌取相談支援センター」と「ワークショップ鎌取」が2014年4月に開所した。グループホームも計画され、ワーナーホームの新たな拠点として期待されている。
今、ワーナーホームでは「さんぶエリアネット」(中核地域生活支援センター、2004年)が2015年に施行される生活困窮者自立支援法への準備を進め、山武、長生、夷隅3ヵ所の「ブリオ」が障害者の就労支援から地域づくりまで活動を広げている。パンプキンハウス(大網白里市)、たんぽぽセンター(柏市)、長生地域生活支援センター(茂原市)ではケアプランの作成に追われている。
全国でも有数の規模となったワーナーホームだが、それに相応しい人材育成と活動によって、改めて「We Are Not Alone」を振り返り、「第2の家族」を志向したいと思う。

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